麻生家“大浦荘”

戦時中から戦後しばらくの間は麻生太賀吉前会長の弟、麻生典太専務の住宅でしたが昭和27〜28年ごろ、典太氏の福岡市転出と麻生本社前に在ったクラブ(二階建和風建築)の取り壊しを受けて、会社のクラブとなり、来客の接待、社内各部各課の会合、新年の謡曲仕舞い大会や社内俳句会の会場などに使用されつつ今日に至っているそうです。
なお、終戦直後4〜5年は、遊休住宅に対する行政指導で社員寮として使用されたのは、麻生本家も同様だったそうです。
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廊下

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