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福岡博多は、どげん違うと?(奈良時代〜平安時代)

 
奈良時代

博多(はかた)』という地名が記録にあらわれるのは759年(奈良時代・天平宝字3年)、「続日本書紀」の太宰府の報告に「異国の侵攻に備えて博多大津の警固を厳重にしなければならぬ」とあるのが初見とされていています。


大宰府
   
平安時代

1161年(平安時代)平清盛が博多に日宋貿易のための日本初の人工の港である袖湊(そでのみなと)を築きます。
この時代に博多に「大唐街」とよばれる宋人居留区街が形成されたのをはじめ、博多には聖福寺、承天寺など巨大な宋風の禅寺があいついで建設され、あたかも中国の港町のような町並みが形成さたといいます。 そして博多は国際都市として、東アジア屈指の貿易港となりました。

平安中期には那珂川河口東岸に大宰府安楽寺の荘園である博多庄が成立し、鴻臚館(こうろかん)での官貿易が衰えるとともに、宋商人がやってきて博多庄など有力な寺社や貴族と結びつき、積極的に貿易活動を行いました。

聖福寺
   

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