午砲場跡 福岡造船株式会社の前に小さなお宮『住吉宮』が在ります。 その一画に『午砲場跡』という石碑があります。 須崎の福岡藩台場から、西公園山腹に移り、正午の時報(発砲)を行っていたそうですが、周辺の住民から「障子が破れたり、棚から物が落ちる」等の抗議が相次いだそうです。その後波止場に移り、昭和6年まで正午の時報(発砲)が続けられたそうです。 どれ程の大きさの大砲だったのでしょうか?私は兵器を扱ったことが無いので分かりませんが、障子が破れたり、棚から物が落ちるのですから相当な大きさだったのでしょうね。しかし、毎日正午に棚から物が落ちてきたら堪りませんねぇ。 福岡市中央区港3-3 |
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