菊池神社
菊池武時(菊池氏12代当主)を祀る神社1333年、時すでに京都では戦乱が渦巻いているころ、後醍醐天皇の命により、鎌倉幕府倒幕のために博多の鎮西探題の北条英時(赤橋英時)を攻める。(武時はこの時には出家して、名を寂阿という)
しかし、北条英時や少弐貞経、大友貞宗らの反撃を受けて、菊池武時、息子の次郎武重、頼隆、そして武重の息子共々討ち取られた。馬上の武時の首が落ちたところが六本松の首塚、胴が落ちたのが七隈の胴塚といわれるこの場所の菊池神社。
江戸後期、幕府打倒の口火を切った勤皇の魁として賞賛され、武時戦死500回忌に墓探しが始まり、武時の墓と称するものがあったので、この地に建立された。
(参考図書 福岡市歴史散策:海鳥社)
余談
その後、建武の新政で楠木正成は、「武時は帝(後醍醐天皇)に一命を賭した忠臣第一の人」と賞賛し、武時の後を継いだ菊池武重は恩賞として肥後一国を与えられたそうです。
福岡市城南区七隈7-10
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