火山瑠璃光寺とその歴史
『筑前国続風土記』によると火山の名は、神功皇后が山上で火を焚いたことから付いたと云われている。
古来より山頂に火を焚き夜間の海上交通の目印となっていたことに由来するものであろう。また、海上からの外敵侵入の際、大宰府へ急を告げる狼煙山であったという説や、『続日本記』に記された古代山城『稲積城』がこの地であるとの説もある。
瑠璃光寺は山号を不知火山といい、真言宗の寺院である。
この地にいつ頃から伽藍があったか詳しくは分かっていないが、開基は奈良時代にインドより渡来した清賀上人とされ、雷山千如寺等と共に糸島でも屈指の古刹といえる。
近年、境内の山中から平安時代後期の青銅製経筒(紙本写経を納めた筒型の容器)が出土しており、古来より仏教の聖地として信仰を集めた処であったことが判明している。
中世に火災に遭い一時荒廃していたが、江戸時代に雷山千如寺の僧である実相により再興され現在に至っている。
本尊は江戸時代につくられた薬師如来像であるが、室町時代後期に作られた旧本尊の薬師如来像も平成14年に修復され境内に祀られている。
境内の湧水は特に眼病治癒に効能があるとして有名であり、遠方より訪れる人も多い。案内板より |