甘水の銘水の由来
時は桓武天皇の御代、延暦23年に伝教大師最澄が入唐しようと、博多から出船された折、大変な嵐で船もろとも転覆の危機に遭いました。その際、無事に入唐出来たならば、帰朝の後必ず薬師如来7佛を刻み供養しようと誓ったところ、程なく風も波も穏やかになり、入唐を実現したといいます。
帰朝した最澄は、祈願どおり筑紫の地に向かい、良材を求めて山に入りました。夜須の郡に至ったところ、道の傍らに一筋の潔き流れを見つけ手ですくって飲んでみると、その水の味が甘露の如く甘く清らかであったことからこの水を甘水と名づけました。そのようなことがあって、伝教大師は白山(古処山)に登り1株の大木から金色の水が流れ出ているのを見つけ、その木を刻んで7佛をお作りになったということです。この7佛薬師は、朝倉の南淋寺他、比叡山、宝満山、京都、嵯峨などの各7個所に安置されています。
またその頃貧しい母子がおりまして、母親は病に犯され飲食咽に下らぬほどでありました。孝行心の深い子が、母が飲みたいと話した筑紫国甘水山金水寺の甘露水を汲みに行き飲ませたところ、瞬く間に快復したという話も伝えられています。(現地案内板より)甘水取水場
|