『来目皇子遺跡』、『今古俯仰之碑』と、来目皇子遺跡案内板
この地は、用明天皇の皇子で、聖徳太子の実弟、来目皇子ゆかりの遺跡である。
日本書紀によれば、来目皇子は、602(推古十)年に「撃新羅将軍」となり、諸神部(かんとものお)及び国造・伴造ら軍衆二万五千を率いて筑紫の嶋郡に船舶を駐屯させ軍糧を運んだが、翌年病気を患い同地で没した。
よって、土師猪手(はじのいて)が遣わされ、周防娑婆(山口県佐波郡)で殯 (もがり)を行い、後に河内埴生山崗(大阪府羽曳野市塚穴古墳)に埋葬されたという。
この時、来目皇子が率いた軍の本営地、あるいは皇子の仮埋葬地とも伝わるのがこの地である。
ここより北に斜面を下った処に在る久米集落の鎮社「久米神社」には、海神三神とともに来目皇子が祀られており千四百年以上たった現在もなお、地元の人々から熱心な信仰を集めている。 |