太閤水(福岡県新宮町)




太閤水
天正15年(1587年)九州を平定した豊臣秀吉が、大阪への帰路ここで馬を休め自ら清水を汲んで飲んだ所です。当時九州の大部分に勢力を伸ばしていた島津義久に対抗し、孤軍奮闘していた立花宗茂(立花道雪の養子)を助けるため、秀吉は20万の大軍を自ら率いて九州へ乗り込んできました。この秀吉を追って九州入りした堺の茶人『津田宗及(千宗易“利休”)』は三代の里で水を求めましたが、あまり良い水ではなかったので自ら井戸を掘り湧き水を得ました。秀吉はこの水を飲んでたいそう喜び、掘った者の名を聞き即座に『宗及水』と名付けました。その後、京都大徳寺の江月和尚(宗及の子)が立ち寄った際に『飯銅水』と改められましたが、後世に石畳の井戸場が造られ太閤秀吉にちなんで『太閤水』と呼ぶようになったそうです。
福岡県新宮町西鉄バス太閤水前停
taiksing00_thumb.jpg
太閤水と地蔵堂


taiksing01_thumb.jpg
太閤水の井戸


taiksing02_thumb.jpg
蛇口


taiksing04_thumb.jpg



taiksing06_thumb.jpg
taiksing07_thumb.jpg
お地蔵さん?






福岡散歩道へ