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福岡博多は、どげん違うと?(弥生時代〜飛鳥時代)

 
弥生時代

金印「倭奴国王印」
1784年(天明4年)志賀島(福岡市東区)で、金印が発見されました。
この金印は57年(建武中元2年)に、後漢の初代皇帝光武帝が倭国の使者に授けられたものと言われています。

遥か昔から博多は朝鮮や中国などの諸外国と密接に繋がりを持っていたことの証明です。


志賀島
   
飛鳥時代

665年(飛鳥時代)には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設されます。(大宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)の前進。)

大陸の先進文化を取り入れるために、日本から大陸へ多くの遣随使、遣唐使、遣新羅使などが派遣されました。また、唐などからも多数の商人が博多を訪れるようになりました。博多は、大陸文化の窓口、玄関でした。

このような交流の窓口となったのが、「鴻臚館」です。博多を訪れた大陸の商人たちはこの鴻臚館に迎え入れられ、ここを舞台に大掛かりな交易が行われました

鴻臚館
   

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