元寇防塁は文永11年(1274)の蒙古来襲後に、サイドの来襲に備えて博多湾沿岸の西は今津から東の香椎まで約20qにわたって築かれた石塁です。“元寇防塁”のことを古文書では“石築地”と記されていますが、大正2年、中山平次郎博士が“元寇防塁”と仮称し定着したものです。元寇防塁は1281年の弘安の役で、元軍の上陸を阻止する役割を果たしました。その後14世紀の半ば頃まで防塁の修理の記録がみられますが、以後埋没し現在に至っています。 |
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