若桜が植えたされ、夜間照明や樹下のつつじの整備がされて、
憩いの花のパークに生まれ変わりました。
花どきには桜の歌の朗詠もきこえ、市や周辺の人達で環境が綺麗にたもたれています。
そして花問答の歌碑が『福岡さくらの会』で建てられ、
檜原桜の『花守り物語』は小学1年・6年生と中学生の道徳の副読本にも取り上げられました。
筑前の花守りは、平成4年に花々の散り敷く道を静かに去って逝かれました。
平成13年に、初めて檜原桜と『面会』され『また会いたい』と言って
團伊玖磨氏も、間もなく中国の蘇州で逝くなられました。
檜原桜は多くの『花かげの花守りたち』に守られて、毎年爛漫の花化粧で周辺のひとたちに喜ばれています。
・あまた あまた 恩寵うけし 花の宴
現地案内板より
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