十六宵遺跡 鏡の井
平安時代のこと、元慶4年(880)8月16日の夕刻、この芦津浦の海人の苫家に1人の女児が生まれ、十六宵と命名された。この子が7歳になるとき、浜辺の小高いところに自然に清水が湧き出したが、その清らかなことは明鏡のごとく、その味は甘露のようであった。十六宵はいつもこの水を汲んで髪を梳り、容姿を整えていたので、人々はこの池を鏡の井と言った。その後十六宵は輝くばかりの美女に成長したが、宇多天皇の御代寛平6年(894)3月、彼女が13歳のときのこと、都から下ってきた奉幣使の橘卿は十六宵のことを聞き、彼女を官女にしようと都に伴うことになり、彼女の姿はこの浦から見えなくなった。すると、今まで湧き出していた清水はすっかり枯れて、池の跡はもとの砂浜になってしまった。その後年を経て、陰陽師安部清明が唐からの帰朝の途次、この浦に立ち寄って鏡の井を尋ねたが、誰もそれを知る者は無かった。そこで清明は携えていた杖を呪文を唱えながら空中に投げると、不思議にも杖はたちまち白龍に化して地上に下るとみるや、大地は振動して裂け、清水が噴出して空中高くほとばしり、龍は水に踊って水底に姿を隠した。清明はこれを見て、これこそ昔の鏡の井であるとて、石を集めて井筒を築いた。これからこの井戸は干ばつにも枯れることなく名水と伝えられた。
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