福岡(博多)は、遥か昔より諸外国との窓口として、常に海の向こうを見続けてきました |
1784年(天明4年)志賀島(福岡市東区)で、金印(倭奴国王印)が発見されました。
この金印は西暦57年(建武中元2年)に、後漢の初代皇帝光武帝が倭国の使者に授けられたものと言われています。
中国の史書『後漢書』に『建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬』西暦57年(建武中元二年)、 “倭の奴国、貢を奉り朝賀す。使人、自ら太夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす”
目を凝らせば、そこに博多(福岡)の歴史が落ちています。 |
海の向こうに夢を馳せた博多の商人達。
そして莫大な富をもたらせ続けたこの博多(福岡)の地を我が物にせんと触手を伸ばし続けた時の権力者達。
幾多の歴史に翻弄され続けたこの博多(福岡)の歴史。
観光名所として整備された処。 文化遺産の指定を受け、大切に保存されているもの。
街の片隅にポツンと置き去りにされた歴史の落し物。
福岡と博多の歴史は、どげん違うと? それは,
└ 弥生〜飛鳥時代 ┼ 奈良〜平安時代 ┼ 鎌倉〜室町時代 ┼ 安土桃山〜江戸時代 ┼ 明治時代
福岡の偉人
├ 廣田弘毅 ┼ 野村望東尼 ┼ 中野正剛 ┼ 正木昌陽 ┼ 原田種夫 ┼ 大隈言道 ┼ 平野國臣
└ 一貫堂濱先生 ┼ 頭山満 ┼ 林遠里 ┼ 宮崎安貞 ┼ 伊藤常足 ┼ 葉室豊吉
福岡の偉人の生誕地
├ 月形洗蔵 ┼ 川上音二郎 ┼ 貝原益軒 ┼ 野村望東尼 ┼ 廣田弘毅 ┼ 亀井南冥 ┼ 平野國臣
└ 加藤司書 ┼ 金子堅太郎 ┼ サザエさん ┼ 青柳種信
福岡の庭園
└ 楽水園 ┼ 藤江氏魚楽園 ┼ 妙福寺庭園 ┼ 福岡庭園
福岡の神社
├ 猿田彦神社 ┼ 沖濱稲荷 ┼ 菊池神社(胴塚) ┼ 菊池神社(首塚) ┼ 警固神社 ┼ 岩屋神社
├ 万四郎神社 ┼ 櫛田神社(野芥) ┼ 櫛田神社荒江 ┼ 十日恵比寿神社 + 立帰天満宮
└ 橋本八幡宮
福岡の仏閣
├ 興徳寺 ┼ 聖福寺 ┼ 普門院 ┼ 八兵衛地蔵尊 ┼ おにぎり地蔵 ┼ 旦過だるま堂 ┼ 龍宮寺
├ 浄満寺山門 ┼ 正平廿一年銘梵字板碑 ┼ 曲渕五重石塔 ┼ 十六羅漢(十六大阿羅漢) ┼ 穴観音興宗寺
├ 千眼寺 ┼ 金龍寺(今川)
┼ 独鈷寺 ┼ 秋月竹地蔵尊 ┼ 大日如来坐像(大日堂) ┼ 明星寺
└ 東林寺 ┼ 火山瑠璃光寺 ┼ 金龍寺(糸島)
福岡の城郭
└ 曲渕城址 ┼ 名島城址
福岡の建物
├ 旧三井港倶楽部 ┼ 九大外人宿舎 ┼ 鏡田屋敷 ┼ 横大路家住宅 + 居蔵の館 ┼ 麻生大浦荘
└ 永沼家住宅
福岡の史跡
├ 維新最初の小学校地碑 ┼ 梅林古墳 ┼ 一里塚 ┼ 西学問所跡(甘棠館) ┼ 探題塚
├ 東学問所跡(修猶館) ┼ 元寇鹿原戦跡 ┼ 元寇防塁西新 ┼ 名島水上飛行場跡 ┼ 午砲場跡
└ 東区元寇防塁と火焔塚 ┼ 元寇防塁巡り ┼ 蒙古塚 ┼ 主基斉田跡 ┼ 来目皇子遺跡
歌碑・句碑
├ 五足の靴の歌碑 ┼ 万葉歌碑(草香江) ┼ 筑紫の館 万葉歌碑 ┼ 万葉歌碑(荒津の崎)
├ 大濠公園 万葉歌碑 ┼ 檜原桜 ┼ 今様歌碑(光雲神社) ┼ 万葉歌碑(志賀島)
└ 豊前国府政庁跡と万葉歌碑 ┼ 吉井町の句碑 ┼ 日向峠の歌碑 ┼ 唐泊港の万葉歌碑
菅原道真
└ 綱敷天満宮 + 菅公腰掛石 + 松ヶ根の井 + 老松神社 + 北山神社 + 菅原神社
神功皇后
└ 帆柱石 + 轡水 + 染井の井戸
名所
└ クリスマス灯台 + チンチン電車
名水・銘水・迷水?
├ 太閤水(新宮町) + 甘水(甘木) + 曲渕の水 + 清水寺湧水 + 鏡の井 + 城山水
├ 心霊水 + 松原水 + 不老水 + 岩井の水 + 知恵の水 + 利生の水 + 泊産安の井戸
└ 明星池のひやけんさま + 八木山名水 + 久米の一つ井 + 油比の殿川 + 脇山の名水巡り
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